近年、大規模言語モデル(以下、LLM)に代表される生成AI(人工知能)技術は、社会のあらゆる領域でその存在感を急速に増しています。自然で論理的な文章を生成する能力は、コンテンツ制作の現場に大きな変革をもたらしつつあり、それは生命と健康に直結する情報を扱う医療分野も例外ではありません。
医療情報の執筆・発信において、LLMは情報収集の効率化や表現の多様化といった多大な恩恵をもたらす可能性を秘めています。一方で、その利用には情報の正確性や倫理的側面など、看過できない課題も山積しています。特に、誤った情報が人々の健康や生命に直接的な影響を及ぼしかねない医療分野においては、LLMとの向き合い方を極めて慎重に議論する必要があります。
本記事では、医療記事をはじめとする医療情報の発信において、LLMがもたらす可能性と、それに伴う課題について多角的に考察していきます。そして、医療従事者や情報発信に携わる人々が、生成AI技術とどのように向き合い、信頼性の高い情報を社会に提供するべきか探ります。
大規模言語モデル(LLM)とは何か
まずLLMの基本的な概念についてです。LLMとは、Transformerと呼ばれる深層学習モデルを基盤とし、インターネット上のテキストをはじめとする膨大な量のデータを学習させることで、人間が生成するような自然な言語を理解・生成する能力を獲得したAIモデルです。代表的なものとして、OpenAI社の開発したGPTシリーズや、Google社の開発したGeminiなどが広く知られています。
これらのモデルは、文脈を理解し、質問応答、文章の要約、翻訳、そして新たな文章の創作といった、従来は人間にしか不可能と考えられていた高度なタスクを遂行できます。この卓越した言語生成能力が、ブログ記事や報告書、各種専門文書の作成支援ツールとして注目を集めているのです。医療分野においても、複雑な医学研究の要約や、患者向け説明資料の草案作成など、その応用範囲は広いと考えられています。
医療記事制作におけるLLM活用のメリット
LLMを医療記事の制作プロセスに導入することで、いくつかの具体的なメリットが期待できます。
第一に、情報収集および要約の劇的な効率化です。 世界中で日々発表される膨大な数の医学論文や臨床試験データを、人間の力だけで網羅的に把握することは極めて困難です。LLMは、指定したテーマに関連する多数の文献を短時間で確認し、その要点を抽出・要約する能力に長けています。これにより、ライターや医療専門家は、最新の研究動向を迅速にキャッチアップし、記事執筆の基礎となる情報を効率的に収集することが可能になります。
第二に、構成案の生成や表現の洗練化です。 記事の骨子となる構成案や見出しをLLMに複数提示させることで、執筆者は多角的な視点を得ることができます。また、専門的で難解になりがちな医療情報を、一般の読者にも理解しやすい平易な言葉で書き換える(リライトする)際の補助役としても機能します。これにより、ターゲット読者層に応じた、より伝わりやすいコンテンツ制作が期待できるでしょう。
第三に、言語の壁を超える多言語展開の支援です。 最新の医学知見は、多くの場合、英語の論文として最初に発表されます。LLMの高度な翻訳機能を用いることで、海外の重要な情報を迅速に日本語のコンテンツとして紹介したり、逆に日本の優れた医療情報を海外へ発信したりする際の障壁を下げることができます。
これらの可能性は、医療情報発信の速度と質を向上させ、より多くの人々が必要な情報にアクセスできる社会を実現する上で、大きな推進力となり得ます。
医療情報の発信にLLMを活用する際の課題
上記のように多くのメリットがある一方で、LLMを医療情報の生成に用いることには、他の分野とは比較にならないほどリスクが伴います。医療情報は、その性質上、極めて高度な専門性、正確性、そして倫理性が要求されるからです。
最も注意すべきは、「ハルシネーション(Hallucination)」と呼ばれる現象です。 ハルシネーションとは、主にLLMが事実に基づかない、もっともらしい虚偽の情報を生成してしまう問題です。例えば、存在しない治療法の効果を述べたり、架空の医学論文を引用したりするケースが報告されています。医療情報におけるハルシネーションは、誤った治療選択や健康被害に直結する可能性があります。
次に、情報の出典と鮮度の問題が挙げられます。 多くのLLMは、その学習データがいつの時点のものか、また、どの文献やデータソースから情報を得たのかを明確に提示しません。医療の世界では、治療ガイドラインが数年単位で更新されることも珍しくなく、情報の鮮度は極めて重要です。根拠(エビデンス)となる一次情報(原著論文や公的機関の発表など)を特定できない情報は、医療コンテンツとしての価値を持ちません。
さらに、専門的な文脈理解の限界も指摘されています。 LLMは膨大なテキストデータを統計的に処理しているに過ぎず、医学的な概念や臨床現場の実際を理解しているわけではありません。例えば同じ病名でも患者の年齢、性別、合併症の有無などによって治療方針が大きく異なるような場合に、それらを理解し適切な文脈で発信できるかは不安が残ります。表面的なキーワードの関連性だけで、医学的に不適切な情報を生成してしまうリスクが存在することを意識する必要があります。
つまり、これらの課題からも、LLMが生成したテキストをそのまま医療記事として公開することが、いかに危険であるかを示唆しています。
信頼性を担保するLLMとの共存・協働のあり方
では、医療ライターとしてLLMの便益を享受しつつ、そのリスクを管理し、信頼性の高い医療情報を発信し続けるために、どうすればよいのでしょうか。その鍵は、LLMを「万能の書き手」ではなく、「優秀だが時に誤情報も提供するアシスタント」として位置づけ、人間の専門家が厳格に管理・監督する体制を構築することにあります。
第一の原則は、徹底したファクトチェックの義務化です。 LLMが生成した文章、データ、引用文献など、すべての情報に対して、人間の専門家が一次情報に遡ってその正しさを検証(裏付け)するプロセスは不可欠です。例えば、ある治療法の効果についてLLMが言及した場合、その根拠として提示された(あるいは、こちらで検索して見つけ出した)原著論文を精読し、結果が正しく解釈されているかを確認する作業が求められます。このプロセスを省略することは、専門家としての責任放棄に他なりません。
第二に、プロンプトエンジニアリングの技術習得です。 LLMに与える指示(プロンプト)の質は、生成されるアウトプットの質を大きく左右します。求める情報の背景、目的、読者層、文体、そして「参照すべき情報源の種類」や「避けるべき表現」などを具体的かつ明確に指示することで、ハルシネーションのリスクを低減し、より意図に沿った回答を得やすくなります。
第三に、最終的な編集・執筆・監修は必ず人間が行うことです。 LLMができるのは、あくまで下書きや素材提供までです。それらの素材を統合し、医学的な正確性を担保し、論理的な一貫性を持たせ、読者の心に響く文章として完成させるのは、医療ライターや編集者の役割です。そして何よりも、最終的な記事の内容に責任を持つのは人間であり、その信頼性を保証するためには、当該分野の専門医による監修が不可欠となります。AIを利用したか否かにかかわらず、「医師や薬剤師による監修」の重要性は、今後ますます高まるでしょう。
医療ライターの専門性と倫理観が問われる新時代へ
大規模言語モデル(LLM)は、医療記事の制作プロセスを効率化し、医療情報へのアクセス性を向上させる大きな可能性を秘めた技術です。その能力を正しく活用すれば、より質の高い情報を、より迅速に、より多くの人々へ届ける一助となることは間違いありません。
しかし、その利用は、ハルシネーションや情報の不確実性といった深刻なリスクと表裏一体です。特に、人々の生命と健康に深く関わる医療情報の領域において、安易な活用は極めて危険です。
LLMはあくまで強力な「ツール」であり、それ自体が思考したり、責任を負ったりすることはありません。このツールをいかに使いこなし、その出力結果をいかに評価し、最終的な情報の品質に全責任を負うか。その判断は、すべて人間の専門家―医療ライター、編集者―の手に委ねられています。
これからの医療情報発信は、LLMを「賢いアシスタント」として傍らに置きつつも、これまで以上に人間の持つ高度な医療の専門知識、批判的思考力、そして何よりも生命倫理に基づいた厳格な倫理観が問われる時代になるでしょう。
AI技術の進化に安易に依存するのではなく、それを的確に管理・活用する責任・必要性が求められています。
【注意喚起】 本記事で述べた内容は、2025年6月時点における情報や考察に基づくものです。AI技術、特に医療分野でのその応用に関しては、技術の進展や法規制、ガイドラインの整備が急速に進んでいます。実際にLLMを医療情報の生成に利用する際は、必ず当該分野の専門家による慎重な判断と、医師による厳格な監修のもとで行ってください。